鮫が空を泳ぐ時

飛行機にはできなくても、貴方はきっとできる。

偶然が僕にくれた さりげない贈り物~ミュージカル「ハル」について考えてみた

 

 

 

 

元号が「令和」と発表された4月1日から東京は赤坂ACTシアターで上演されるミュージカル「ハル」。「Hey!Say!と名の付くグループのメンバーとして」平成最後の春に臨む主演は薮宏太。このミュージカルが、すごく良い。もう2回も観てしまった。22日から始まる大阪公演にも行く予定。なのに生まれてはじめて「もっとこのミュージカルを観たい」と思ってしまう。自担である薮くんが主演なのもあるだろうけれど、純粋に何度でも観ていられる内容なのだ。伏線もそうだけれど、何気ない一言にすごく重みがある、なんてことがかなりある。今回の記事ではそんなミュージカル「ハル」の作品についての感想や、気付いたことについて書き、ハルロスに陥ってる人に寄り添ったり、これから2回目、3回目の「ハル」ですって人がちょっっっっっっっっっとだけ楽しめそうになるように努めていく。

 

 

尚、言うまでもなくネタバレを含んでいるのでまだ1回目の観劇はこれからという人はぜひ観終わった後に読んで頂きたい。というか1回しか見ない人は絶対観終わったあとに読んで。ミュージカル「ハル」は何の予備知識も無しで見てほしい。その方が楽しめる。この記事は4月13日にJohnny's Web内でHey! Say! JUMPのメンバーが更新する「JUMPaper」で八乙女光くんが書いてくれたように観劇後のごはんでみんなで確認してるようなことばかり書いてある記事なので…強いて言うならちょっとボクシングについて勉強してから行くのはいいかも。

 

 

 

※4月26日ソワレ観劇後に思いついたことについてオレンジで項目付しました(4月27日追記)。

  • 物語の起承転結

 

物語をつくる上で欠かせないと言われている「起承転結」がド素人にも分かるぐらい鮮明に分かれているような印象がミュージカル「ハル」にはある。パンフレットにある曲名で分けてみると、

 

 

  1. 「起」…第一幕全部
  2. 「承」…2幕オープニング~「心が望むこと<リプライズ>」
  3. 「転」…「時代の墓場」~「試合」
  4. 「結」…「いのちのおと」~「決意」

 

という感じにみえる。第一幕で登場人物一人ひとりを丁寧に書いて、それぞれがこの後どうなっていくのかも見どころにしているし、その中でさりげなく伏線が張られてる。そこを起点とし、承の部分でハルの成長を受けて町でオリンピックを開催しようとしたり、町の人の変化を書き始める。ハルの成長や町の変化が物語の芯の部分なのかと思わせる場面が続いたところで、Travis Japan七五三掛龍也くん演じるハルの幼馴染・修一がハルを廃墟ツアーに誘う。そこで出会った真由と亡霊達が叫ぶように歌い出す「時代の墓場」と現世への鋭い指摘。この曲と場面を皮切りにこのあと続く曲らが物語のテーマが「現代の日本の在り方」であることを証明していく。

 

 

「ずっとこわかった」で学校という狭い世界におけるいじめやカースト制度、"はぶメン"といった問題が常に背後にあること、「ルサンチマン」で顔で見えないことで誰が書いているのかイマイチ分かりにくいTwitterを取り上げることで、まず、ハルたちと同じぐらいの10~20代に合わせた問題提起がなされる。しかし「ルサンチマン」の最初はハルと修一たち5人の高校生の間をすり抜けていくように、安蘭けいさん演じるハルの母・千鶴たち大人4人が前に出てくる。ルサンチマンとはキリスト教の用語で生まれた時からどんな人間も持つ妬みだとか恨みだとかを意味する。ここで不安を抱えたり、誰かを憎んでしまったりする気持ちが大人になってもあること、その気持ちや陰口の文化がSNSによって共有されてしまっていることへの問題視にまで物語における問題のテーマが広がっていく。広がると共に、これはハルたちだけのお話ではないと、観ている人にとっての物語でもあることを訴えかけてくる。

 

 

結末ではここまでで描かれてきたこんな世界で、こんな時代で、「ハルはどう生きていくのか」ということが描かれている。だからタイトルも「ハル」なのかな、と。真由の正体と彼女が生きた意味を知り、この物語と、その中で生きるハルの姿をみて、何を想うのか、自分はどう生きていくのか。そう考える時間だったり、答えが、ミュージカル「ハル」のメッセージなのではないだろうか。

 

 

  •    舞台の町の推測に伴う忘れてはいけない出来事

この項目、実は以下のことを調べるまでTwitterのネタにもならない自己満な結果にしかならないだろうから胸に留めておく程度にしようとか思っていた。でも以下のことを調べてたらある仮説がなんとなく過ったのだ。
 
それは登場人物の苗字である。日本人の苗字は他にも様々なパターンがあるが、その人の祖先の住んでた町がそのまま苗字になって残るということが多いため、登場人物の苗字やそれらを捩ると大体ではあるが、物語の舞台が分かることがある。
 
そこで物語の中でずっと舞台となる町に住んでいたハル、ハルの母の会社の社長、ボクシングジムのオーナーの苗字が各都道府県でどれくらいいるのかを統計したランキングを参考にし、それぞれ多かった県を3つずつ挙げてみた。それが以下のとおりである。
 
石坂
  1. 富山県(148位)
  2. 群馬県(162位)
  3. 長野県(259位)
 
高野
  1. 茨城県(22位)
  2. 新潟県(27位)
  3. 福島県(41位)
     
神尾
  1. 山形県(307位)
  2. 静岡県(438位)
  3. 群馬県(676位)

 

 

甲信越地方が多いな、と石坂と高野の結果を見て思っていたところに神尾さんが山形県に多いことが分かった。そこでふと、社長がパラダイスワールドというテーマパークの計画が町長の賄賂事件によって中止されたこと、さらに「震災」が重なったことによって町おこしが頓挫してしまい、ハルの祖母に零している場面を思い出した。この「震災」はてっきり東日本大震災のことを話しているのかと思った。ただ、浅野さんが「ルサンチマン」で福島の話をする。だとするとこの「震災」は東日本大震災ではないのではないか?
 
そのパラダイスワールド建設中止は15年前という設定。実は15年前、当方は山形に住んでいた。だからここまでわかれば、この先は調べなくとも、社長が言う「震災」が新潟中越地震のことを指しているかもしれないと想像がつく。でももうこれは自分が当事者だったことからバイアスがかかっているのかもしれない。しかし、すぐに思い出すほどのことが関わっていたとなると、どうしても書かずにいられなかった。
 

 
  • 「心が望むこと」

 

長々と物語全体について話してしまったのでここからは曲ごとに区切られる場面についてそれぞれ気になったところについて書いていく。梅沢昌代さん演じるハルの祖母が歌うこの歌、その前のシーンからずっと温かいし、ハルが如何におばあちゃんに心を許してるかが伺える。そんなハルの、血圧計の結果を誤魔化そうとするおばあちゃんに対して言う「嘘なんか書いてもしょうがないよ」。第一幕冒頭の「偽りの手紙」で順風満帆な生活を送っていると散々嘘をついていたハルが、おばあちゃんにこういうのだ。いかに「偽りの手紙」で自分のことを責め、悩んでいるのかが、こんなほのぼのとしたシーンで改めて浮き彫りになるのだ。

 

 

  • 「筋肉は裏切らない」

 

コミカルなこのうたの終わりに、出会ったばかりのハルと真由が神尾ジムに来る。真由の正体に気付いたあとにみると、何故1回目に気づかなかったのか分からないほど、ジムのみんなはハルにしか話しかけない。DVがきっかけで人に触れられるだけで悲鳴をあげ、社長がつけた(ひどい)サンドバッグちゃんというあだ名(ひどすぎる)に敏感に反応してしまう佐藤さん、学級崩壊のトラウマからかどもってうまく話せない田中さんの目の前で思い切り真由が言う「落ちこぼれ集まれ、か」も、不思議なほど誰にも聞こえていない。どちらか一方が発狂してもおかしくないような発言を誰も拾わないことに、既に伏線が張られていたのだ。

 

 

また、ハルと真由がひとつなら、この真由の発言はハルの本音かなともとれる。もしそうだとしたら、ハルの性格がいかに閉鎖的かが分かる。

 

 

このシーンで真由が小道具のサンドバッグに何度かパンチをするのだが全くをもって動かない。しかしその後の場面で佐藤さんと田中さんが思い切りサンドバッグを殴った時はちゃんと揺れている。真由の正体、2人の生きる意味や価値に繋がる"動かぬ証拠"がここにあった。

 

 

 

  • ハルを通して見る修一

 

 

本作品にはハルと真由がシャドーボクシングをしている周りで街の人が歩いている、という場面が2回ある。「筋肉は裏切らない」と「時を止めた夢」の間にある1回目では街の人はただ横を通りすぎて行ってしまうが、2回目では道行く人が足を止め、ハルの姿に釘付けになり、「ハル」は真由から街の人のパートになっていく。さらに2幕序盤の「スポーツを!」に続き、神尾さんの「小さなオリンピック」内の「実はハルくんを見ていると…」というセリフに繋がっていく。1回目と2回目で段階を踏むことで街の人の心境の変化だけではなく、ハルが人の心を動かすほどボクシングにのめり込んでいる様子まで伺える。


しかし、1回目のシーンでただ一人だけ足を止め、ハルに話しかけた人物がいる。修一だ。ハルの幼馴染であり、第三者の中では一番ハルのことをよく見てきた人物である。良くも悪くもハルを気にしすぎている修一はすぐ様ハルがボクシングによって心変わりしていくのに気がつく。

 

 

誇らしげに歌うハルの方の「秘密の鍵」で千鶴は「ハルのそんな顔、久しぶりに見た」と言う。いつ以来なのだろう?また千鶴さんの言葉を借りてハルが「名フォワード」だった頃だとしたら、当時ハルよりサッカーで技術が劣っていた修一も「そんな顔」を見ているはずなのだ。きっとその時のことがよぎったのだろう。修一の、ハルと何でも言い合えていた頃からの不安はこの時に初めて観客に頭角を現し、「ずっと怖かった」で爆発するまで膨らみ続ける。

 

 

 

 

  • 「試合」

 

 

いよいよ始まったハルのボクシングの試合。リングの向こうに見える真由の姿はやっぱり周りには見えていない。先程から度々用いる、ハルと真由が一人の人間なのならば、試合の途中での真由の「だめ!」というセリフはハルがふと感じた本音なのでは……?と思うと全てが切なくなる。そのまま試合に敗れ、観衆の冷たい目から逃げるようにその場を走り去ってしまうハルの後を、すぐ追いかけるのが真由だけなのも感慨深い。

 

 

  • 「いのちのおと」以降

 

ただ、ハルと真由がひとつのままではいけない。起承転結を一つひとつ紐解き、「結」の部分で述べた通り、真由もひとりの人間だったのだから、この後はハル自身の力で生きていかなければならない。「真由がいなくちゃ生きていけない」ハルの気持ちは手に取るように分かるし、かと言って今までずっと「人に心臓をもらうほどの価値のある人間だったのか」を問うてきたハルの計り知れない苦悩がすぐに晴れるとも思わないが、そんなハルが、それでもハルとして、人の目を気にするなんてこともせず、生きていくことに全てのメッセージが詰まっていると考えられる。

 

 

所感

 

伏線なぞ回収してるともう一回観たくなる。まだ終わってないのにカンパニーの皆さんがSNSとかで「再演まだかな」って言ってるのがすごくよく分かる。100いいねぐらいしたくなる。もっとも、公式グッズのショッピングバッグに"2019"って書いてあるあたり、違う年号のグッズも見たいなと思わざるを得ない。ミュージカル「ハル」がずっと続くこと、もしそんな日が来るまで、ハルが、薮くんが、このミュージカルに関わった人が、観た人が、生きる意味を輝かせられることを祈っている。