鮫が空を泳ぐ時

飛行機にはできなくても、貴方はきっとできる。

夜風に消える灯火~薮くんに演じて欲しい役について vol.2

酷暑が度々顔を出すものの読書の秋も感じられる今日この頃、先日読んだ本が余りにも面白いだけでなく、もし日本で実写化するならぜひとも薮くんに主人公を……!と思う作品だったので今回はそちらの本を紹介しつつなぜ薮くんがいいのか、そのポイントと魅力についてまとめたい。

  • 作品紹介

アメリカの作家・レイ・ブラッドベリの『華氏451度』である。今よりも遥か未来、本の所持が禁止され、思想が制御されていくことで現代を生きる我々からみればどこか冷たい人たちが溢れる世界での話。主人公のモンターグはその本を片っ端から燃やす昇火士という職業に就き、本がこの世から消えるとはどういうことなのかを考えずに任務を楽しんですらいた。ある日クラリスという想像力豊かな少女と出会うことでモンターグの日常は変わっていくーーーそんなストーリーである。


1953年に書かれたものでジャンルはSF。ライトさすら感じるテンポ感と本の禁止によって思考力が制御されていった人間の有様という内容の重厚感のコントラストがはっきりしていてページを捲る手は止まらないのに何か心にずっしりとしたものが来る作品である。300Pも無いのでそんなに時間をかけずに読めるだろうし中規模以上の書店には必ず置いてあり、なんなら画像部分をクリックするとAmazonに飛べるのでどこの回し者だというツッコミはさておき以下で触れる内容でネタバレを避けたいのならまず手に取って頂きたい。




ここからは本の内容と薮くんに関することを照らし合わせながらまだ見ぬ「薮宏太演じるモンターグ」をプレゼンしていきたい。



- 見えない炎との演技


先述の通りストーリーの中の世界では本は燃やされるので火事の場面が多く登場する。もし舞台ならばステージで火気は禁物なので布に風を当ててそこに赤い証明を照らし、演者の方々に熱がる演技をしてもらうなどすることで火は演出される。映画でも近年は発達したCG技術を使って撮影されることの方が多いらしい。ここで私が思い出したのは薮くんが2015年の春に出演した舞台『滝沢歌舞伎』での滝沢組曲の1つ、「IKUSA」という演目だ。


この演目の中であまり長い時間ではないかもしれないが、座長のタッキー、共にメインキャストを務めるKis-My-Ft2の北山くんと共にSnow Manら他のキャストが演じる炎に迫られるという危機的状況の中という設定で演技を繰り広げている。先程説明したように赤い照明を使って、という場面でも薮くんは熱がるということを巧みに演じている。手を翳し、目を細め、それでも目力を放ち、そして汗をかいている。第一部、滝沢歌舞伎の場面、第二部の義経といった演技が主となるこれらの演目を合わせても薮くんが汗をかいているのはこの演技のこの一瞬だけなのだ。


話を本の内容に戻すとおそらく炎は幾度となく登場するが、それを煙たがったり熱がるという描写は無い。最初のシーンこそ本が燃えることでモンターグは興奮するという様だ。手を翳したりすることも無ければ目は大きく見開かれているだろう。だが、本来常温水のスプレーで演出されるはずの汗を演技のときならば制御できる薮くんならこういうシーンも大丈夫なのではと信じて止まない。



- 思考力を得ていく過程の演技



この物語での見どころの一つに最初は何も考えずに本を燃やしていたモンターグが自分のしていたことを過ちとみなし、そこから人間らしさ、考えることの重大さとそれは本によって賄われると気づく過程とその結果がもたらした行動だ。


ここで思い出すことは2つだ。1つは常日頃本を読む薮くんのことである。2018年2月に発売された雑誌『BRUTUS』で今学びたいことは何ですか?という質問で薮くんは「速読」と答えていた。この質問はほかの雑誌でもされ、そこでも同じように薮くんは答えているが、「物語が分かってないといけない小説とかではなかなか出来ないけどね」とも言っている。「今は池井戸潤さんの『陸王』を読んでる」ともこの作品のドラマ化が決定した頃に発言していた。新書も小説も選り好みすることなく読み、その読み方にもこだわりや向上心をみせる、本を大切にする薮くんなら本を読まないことで人がどうなるのかということは安易に想像出来るだろう。



もう一方は最近の、対人間の際の薮くんのことだ。これまた雑誌で薮くんは「自分と違う意見を持っている人に興味を持つことで相手のことをより理解できるようになった」と発言している。この姿こそ、まさしくモンターグがクラリスの話を初めて会ったときから聞いてしまった心情の奥深くにある部分なのだ。モンターグは物語が進むに連れてこの部分が開けてくるが、薮くんは表立ってこういうことができるようになったと言えるほどにこの気持ちが確立してるのだ。引き出すことができるなら、しまうこともできる。この気持ちとその過程を理解できて初めてモンターグに近づける。薮くんはもうモンターグに近い存在なのだ。



- この作品が伝えたいこと


じつはこの作品を題材とした卒業論文を自分のゼミの先輩が書いていた。その先輩は現代の読書離れとそれによるモラル意識の低下、つまり人間が本を読まなくなることやメディアのレベルが低下することで人間が考えることを止めてしまうのではないかということ、それがこの作品の伝えたいことだと指摘していた。


普段演じる人や作る人たちが自分たちのように実際に本を読んで自分なりに物語の核心に触れるのか、それとも自分たちが目指すような文学者の人たちが論じてることを読んで正確に伝えたいことにアプローチするのか、あるいは他に方法があるのかは分からない。ただ、薮くんならこの作品が伝えたいことに触れたとき、このことを問題視してくれると信じられる。本を読み、人の気持ちを考えられる薮くんなら、人間が考えることをやめてしまったらどうなるのかと考え、危機を感じてくれるとこの作品を託せる気がするのだ。そして、これだけ人間らしさに溢れた薮くんの視点でのこの本の解釈も気になるし、投影してほしい。


- 最後に


拙い文章ながらも薮くんの演技と性格における良いところをこの作品を通して少しでも発信できたら、そしてこの本を読んでくれる人がいたら、と密かに思う。これが現実になって、そうでなくとも薮くんの手にこの本が取られるようなことがあれば、それは必ずや演技にしても人としても、薮くんの得るものは本当に多いだろう。薮くんの演技がまた見られる日が来るのも嬉しいが、薮くんの人生が実り多い日々であれたら、そんな日々を送れるお手伝いが少しでもできたらと、今回はこの本を紹介した次第である。